聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地のすべてのやからは、 あなたによって祝福される」。
また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
またわたしはあなたの子孫を増して天の星のようにし、あなたの子孫にこれらの地をみな与えよう。そして地のすべての国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう。
アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。
というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
つえはユダを離れず、 立法者のつえはその足の間を離れることなく、 シロの来る時までに及ぶであろう。 もろもろの民は彼に従う。
第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、 「この世の国は、 われらの主とそのキリストとの国となった。 主は世々限りなく支配なさるであろう」。
では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。
聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。
わたしはヤコブから子孫をいだし、 ユダからわが山々を受けつぐべき者をいだす。 わたしが選んだ者はこれを受けつぎ、 わがしもべらはそこに住む。
しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。
あなたの敵をあなたの足台にするまでは、 わたしの右に座していなさい』。
キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。
その中に十分の一の残る者があっても、 これもまた焼き滅ぼされる。 テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、 その切り株が残るように」。 聖なる種族はその切り株である。
彼の世に義は栄え、 平和は月のなくなるまで豊かであるように。
また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。
また真実と正義と正直とをもって、 『主は生きておられる』と誓うならば、 万国の民は彼によって祝福を受け、 彼によって誇る」。